1986年「朋基誕生」年賀版画
長女が生まれた2年後、義母はことのほかこの長男を可愛がってくれた。
私も「3つ子の魂100まで」と思い3歳までは母乳で育てるぞと意気込んでいた、
ところが長男がまだ2歳前に私の突然の就職の事態がやってきた。
義母に預けて私は都内へ通う日々が始まった。
毎朝長男と別れる儀式のようなものがあった。
家から数百メートルの駄菓子やさんの前で必ず義母と長男が見送りに来る。
私はその駄菓子やで何かひとつお菓子を買っては長男にあげる。そして、バイバイ・・・・をする。
「行ってきまーす」「行ってらっしゃーい」後ろ髪を引かれるとはああゆうことを言うのだろう・・・・・。
その後保育園に入れるようになって入園したのもつかの間、長男はよく園を脱走してきた。
掘りごたつに隠れた。掘りごたつの4本の脚のひとつにしがみついている指を11本剥がして園に連れ戻した。
そんなことが何度かあるうちに4歳位だったと思うが「ママ僕は自殺したい・・・・」と言い出しました!
「自殺?!」保育園はあきらめた。一番近くて、一番時間の短い幼稚園に入れるまで待つことにした。
その頃私はジュエリーの原型を彫る仕事をしていたので会社から仕事をもらい家を仕事場にした。
そんなある日、カーテンを縫っていると長男が言った
「ママ神様がね見えない糸電話でビビビビビッてお話してきたよ・・・・ママね、カーテンはもういいから、お・し・ご・と だって!」
個展を目前に控えていた。
そのとき、一語一語を区切って「お・し・ご・と」と長男が言った時のことは忘れられない。
4歳の子供に言われたあの時のたった四文字のことばが私のその後の個展人生を支えてくれたのかも知れないと思う。
長男の神サマのビビビは一年ほど続いたがある日突然終わった。
「アッ、ママぼくの言うこと信じてなーい!もういい!」それっきり二度とビビビビはなかった。
長男の話を信じてなかった訳ではない。四歳の子供に神様のビビビについて根堀葉堀り質問したのである。
それが不信ととられてしまった。残念である。二十歳になる長男はもう何も覚えていないと言う。
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